何者にもなれない無の一年でした

去年のアドカレで書いた記事の最後で学会の原稿を書くか書くまいか明日の自分に任せようとした結果,あの日の明日の俺は原稿を諦めて教授に「研究が手につきません.(何もやっていないから)研究室にも行きづらいです.一年空けて頑張りたいです.」そう伝えた.その結果,今年は一年間休学することになった.

 

4月

休学が始まった.休学の費用は6万円.来月振り込みの案内が届くらしい.休学は事務室で小さい紙に名前を書くだけで出来てしまった.案外,休学というものはよくあることで普通なのかもしれない.そう思うと今ある罪悪感や不安を少し拭えるような気がする.この一年間,何をして過ごそう.親には資格を一つでも取ったらどうかといわれたが正直今は何もする気がない.せっかく一年休学することになったのだから,一年は甘えて何もせずに生きていきたい.

 

5月

休学開始から一か月経ってなんで休学したのか分からないくらい気持ちが楽になってきた.それはもちろん大学に行かなくていいからに他ならないが,なぜあの時あれだけ大学に行きたくなかったのか.もう分からない.

 

6月

何もせず2か月経った.生きてるだけ偉いでしょ.たぶんモンハンばっかしてた.

 

7月

研究室の友達から遊びに誘われた.大学に行くわけじゃないし,大丈夫.重い腰をあげた.

 

8月

なんだかんだちょっと外に出て遊んでた.大学も行ってないくせに.

 

9月

何もなかった.

 

10月

甥っ子が生まれたらしい.写真を見た.赤ちゃんだった.

 

11月

何もなかった.

 

12月

気が付いたらもう12月.あと三か月でまた大学に行くことになる.本当に来学期から頑張れる人間になれるのだろうか.不安.

 

1月

年末から実家に帰って甥っ子に会った.とてもかわいかった.とても小さかった.

 

2月

もうあと一か月したら復学することになる.戻りたくない.今の生活があまりにも楽すぎる.つらいことや苦しいことが何もない今の生活が何よりも尊い.なぜこれを手放さなければならないのか.

 

3月

親に電話で復学することが嫌だと伝えた.とりあえず直接話そうといわれて実家まで帰った.帰ってから夕食を食べ終えるまで普通の会話をしていた.夕食が終わってから大学の話をした.親は泣いていた.

 

4月

大学を辞めた.前の家も退去して,親からの連絡も無視して大阪の快活にずっといる.連絡はとっていないけれど学生時代の口座に親がお金を振り込み続けてくれている.たまに日雇いのバイトに行っている.バイトにいる人は俺と近い立場かと思いきや案外主婦などが多い.

 

5月

快活にいるとお金がかかるので最近は外にいる.季節的にも問題なく過ごせている.たまに就職を考えてハローワークに行こうとしている.でもまだ一回も行ったことはなくて,いつも途中のすき家に行って帰ってきている.

 

6月

ハローワークに行った結果,就職先が決まった.券売機,自販機などの修理をする会社らしい.7月から働き始めることになる.

 

7月

働き始めた.はっきり言って面白くない.仕事内容は難しくない.周りの人間はかなり年上で40代が多い.話が合わない.面白くない.

 

8月

仕事を辞めた.

 

9月

 

10月

退廃的な生活

遅刻しました.アドカレです.

adventar.org

今回は無難に近況報告します.

 

まず,今は大学院1年なわけですが,全然研究室に行っておりません.ずーーーーーっとゲームしてます.研究室でもレアキャラ扱いになっています.卒業できるかは知りません.

 

コロナが流行り始めてから自粛自粛と大学に行かない期間が長かったせいか,体力も落ち,何もできなくなってしまいました.研究も課題も就活も.大学院も辞めたいし働きたくもない.そして鬱のような状態になりました.

 

毎日タバコを吸いながらPCでゲームをし,たまにパチンコで金を溶かす.タバコもパチンコも全部親の仕送りのお金.自分のお金はもう使っちゃったから.こんな退廃的な生活をいつまで続けることができるのだろうか.ずっとこうしていたい.

問題はお金と健康,それから自己嫌悪と罪悪感.いまも先生に進められて仕方なく申し込んだ学会の原稿を一切作っていないのにアドカレを書いている.この罪悪感だけはたまらなく嫌.

このまま退学して,その日暮らしの生活を送りたい.でも普通の生活もしたい.そんな感情の狭間で毎日を過ごしています.

 

自分はもともと研究なんて向いていなかったし,大学院なんてもってのほかの人間だと思う.大学も高専も,行かない方が自分には合っていたのかもしれない.これはちょっとばかり要領が良かった自分のせいだと思う.勉強も全部暗記する要領が良かっただけ.計算は公式が使えなかったらできないし,記憶力もべつに特段良いわけではなく,効率よく覚えていただけ.なのに学力があるってことになってた.努力という努力をしないまま大学院まで来てしまった.努力の仕方なんて知らないし,そんな才能はない.

 

死にたいと思うことも多々あるけど,ただ漠然と死にたくない.死なないだけなら別に大学院なんて出なくてもいいのになんで大学院にいるんだろう.高いお金を親に払ってもらってまで.親には感謝してもしきれない.でもその親のお金でタバコ買ってパチンコ打ってる.救いようがない.

 

このまま原稿も書かずに,修論も書かずに,卒業できなかったらどうなるんだろう.人生で大きく道を逸れたことのない人間にとっては恐怖すぎる.でも興味もある.

まあどうせ原稿は書くし,修論も書くんだろうな.今はそう思っているけど明日の俺はどうするんだろう.いつこの中途半端な状態に踏ん切りをつけるんだろう.

 

ごめんな明日の俺.また決断をお前に任せるよ.明後日に押し付けるなよ.

21年目の告白

advent calendar 23日目担当のおかです.小餅くんの同級生です.いまは彼が一つ下の学年になってしまいましたが(大学の制度的には彼は4年かもしれませんが).

あまり楽しい内容のブログではないので読まなくてもいいです.

 

皆さんは『22年目の告白』という映画を見ましたか?2017年公開の映画で,2012年の韓国映画『殺人の告白』をリメイクしたものらしいです(wikiより).

このブログのタイトルはそれのパロディです.私が20歳の時,つまり人生21年目の時に親からある告白を受けたことをこれになぞらえました.

 

皆さんはこの動画を見ましたか?

www.youtube.com

知っている人は多いと思いますが,この動画は数々の反響を呼びました.そこには良いものと悪いもの両者ありましたが,基本的には悪いものが目立ち,結果「炎上」といわれるような状態になりました.

皆さんはこの動画を見てどう感じましたか?

私は炎上しているという前情報を得た上でこの動画を見たので,その感想は

「「日本人という人種全体がこのような差別を行っている」という風な大きな主語に映っていることが問題なんだろうな.」というものでした.

近年問題視されている人種差別というものの根幹はこのように差別される側,する側の人達をそれぞれ一括りにしてしまうことにあると思います.黒人でも差別を受けない人も居れば,白人でも差別をしない人も居ます.しかし扱う問題が「人種」という人をそうである人とそうでない人に分けざるを得ないものであるため,このような問題は仕方ないとも思っています.近年挙げられる他の話題としてジェンダー差別もありますが,これも同じようなところが問題の根幹にあると考えられます.

 

しかし,この動画が伝えたかったことは「このような現実が日本に隠れている」ということであり,その点については正しいのでしょう.幼少期から私の身の回りには日本人しか居なかったのでこのような差別・いじめは見たことがありませんでした.しかし,ネットの世界では在日朝鮮人を叩く人たちは多く,それが現実にもあることは想像に難くないです.それに大勢と違う点を持つ人は叩かれやすいものですし,学校のような周囲に流される人が多い環境ではきっと,一度,異分子として扱われるとそこから抜け出すことは難しいでしょう.

そして,動画にあるように,このような過去を持つアスリートが優秀な成績を残すことがあれば,それは世間の考えを改めさせる良い起点になるでしょう.

 

この動画の公開は2020/11/28.そこから時は遡り2019/08/23.

私はその日,大学がまだ夏休みだったので実家におり,家族と夕食を食べていました.私の家族は夕食の際に皆が酒を飲みます.まぁ,たしなむ程度で泥酔はしません.夕食が終わり,ゆるやかに晩酌の続きを母・父と過ごしていました.そこで母親が切り出しました.

 

「実は,誠也(私)にまだ話していないことがあるんよ.」

 

つい先ほどまで私の体内を駆け巡り,気分を高めていてくれたアルコールが一瞬にして消え去りました.驚くほど頭が冴え,瞬時に様々なことを考えました.その結果,実は養子で血が繋がっていないのか?と考えていたその時,

 

「お母さん,実は韓国人やったんよ」

 

アルコールが戻ってきたのか頭が止まってしまいました.体感5秒,現実では2秒くらい体が止まっていたと思います.

 

「なんや,そんなことか.養子とか言われるんか思ったわ」

 

頭が止まったまま口から出た言葉でしたが,実際のところ自分で予想していた事とは違いました.しかし受けた衝撃は大きく,「そんなこと」などで片付けられるものではありませんでした.しかし今となってはこの「そんなこと」という言葉は母を救ったかもしれません.聞けば,母はこの事を打ち明けるに打ち明けられなかったらしいです.なぜなら私がそれにショックを受けて悲しむと思っていたらしいです.その割には「誠也は頭が良いから気付いてるかも」などとも思っていたらしいです.全く気付いていませんでした.この話を聞いてから祖父の家に行って部屋を探すと確かにチマチョゴリを着た人物の写真がありました.

 

確かに,私は中学くらいから韓国人のようだといじられる時はありました.眼鏡を掛けているからペ・ヨンジュンのようだとか.しかしそれに抱いた嫌悪感は韓国人だからではなく,ペ・ヨンジュンが少し古い話題だったからです.それ以上のいじめや差別といったものは受けたことはありませんでした.それはもちろん私を含めた全員が私のことを純日本人であると思っていたからです.もし半分韓国人であることが知られていたらどうなっていたのかは分かりません.しかし,私は自分が半分韓国人であることを知ってから数人の友人にそれを明かしました.母親には「人に言わないように」と言われましたが仲の良い友人には言ってみようと思ったのです(このブログで書くことは母の言いつけを大きく破っているがそれは見逃してほしい).仲の良い友人というだけあってか,それを知っても仲良くしてくれる人ばかりでした.本当に差別は存在するのかと疑ってしまいました.

 

私のような人間は韓国人の血が混ざっていることを明かしても差別されなかった恵まれた人間です.前述のとおり,人種差別問題の裏には差別される人とされない人が居るのです.私は自身の経験を以てしてこのことを証明しています.もしかしたら,私がこんな身の上でなければこのことに気付かなかったかもしれません.

 

私は,このような貴重な境遇にあることを含めて,皆に差別という問題の本質に気付いてほしいと思ってこの文を書きました.ネットにあふれる数多の声の中から,主語の大きさに惑わされることなく,問題の本質に関わる意見を取り入れて欲しい.その本質は私には分かりませんが,問題とは関係のない方向へ考えが向いてしまうことを避ける手助けにはなることを願います.

 

advent calendarに書くような明るい内容では無かったと思いますが,文章を書く機会もないのでここに記させていただきます.