21年目の告白

advent calendar 23日目担当のおかです.小餅くんの同級生です.いまは彼が一つ下の学年になってしまいましたが(大学の制度的には彼は4年かもしれませんが).

あまり楽しい内容のブログではないので読まなくてもいいです.

 

皆さんは『22年目の告白』という映画を見ましたか?2017年公開の映画で,2012年の韓国映画『殺人の告白』をリメイクしたものらしいです(wikiより).

このブログのタイトルはそれのパロディです.私が20歳の時,つまり人生21年目の時に親からある告白を受けたことをこれになぞらえました.

 

皆さんはこの動画を見ましたか?

www.youtube.com

知っている人は多いと思いますが,この動画は数々の反響を呼びました.そこには良いものと悪いもの両者ありましたが,基本的には悪いものが目立ち,結果「炎上」といわれるような状態になりました.

皆さんはこの動画を見てどう感じましたか?

私は炎上しているという前情報を得た上でこの動画を見たので,その感想は

「「日本人という人種全体がこのような差別を行っている」という風な大きな主語に映っていることが問題なんだろうな.」というものでした.

近年問題視されている人種差別というものの根幹はこのように差別される側,する側の人達をそれぞれ一括りにしてしまうことにあると思います.黒人でも差別を受けない人も居れば,白人でも差別をしない人も居ます.しかし扱う問題が「人種」という人をそうである人とそうでない人に分けざるを得ないものであるため,このような問題は仕方ないとも思っています.近年挙げられる他の話題としてジェンダー差別もありますが,これも同じようなところが問題の根幹にあると考えられます.

 

しかし,この動画が伝えたかったことは「このような現実が日本に隠れている」ということであり,その点については正しいのでしょう.幼少期から私の身の回りには日本人しか居なかったのでこのような差別・いじめは見たことがありませんでした.しかし,ネットの世界では在日朝鮮人を叩く人たちは多く,それが現実にもあることは想像に難くないです.それに大勢と違う点を持つ人は叩かれやすいものですし,学校のような周囲に流される人が多い環境ではきっと,一度,異分子として扱われるとそこから抜け出すことは難しいでしょう.

そして,動画にあるように,このような過去を持つアスリートが優秀な成績を残すことがあれば,それは世間の考えを改めさせる良い起点になるでしょう.

 

この動画の公開は2020/11/28.そこから時は遡り2019/08/23.

私はその日,大学がまだ夏休みだったので実家におり,家族と夕食を食べていました.私の家族は夕食の際に皆が酒を飲みます.まぁ,たしなむ程度で泥酔はしません.夕食が終わり,ゆるやかに晩酌の続きを母・父と過ごしていました.そこで母親が切り出しました.

 

「実は,誠也(私)にまだ話していないことがあるんよ.」

 

つい先ほどまで私の体内を駆け巡り,気分を高めていてくれたアルコールが一瞬にして消え去りました.驚くほど頭が冴え,瞬時に様々なことを考えました.その結果,実は養子で血が繋がっていないのか?と考えていたその時,

 

「お母さん,実は韓国人やったんよ」

 

アルコールが戻ってきたのか頭が止まってしまいました.体感5秒,現実では2秒くらい体が止まっていたと思います.

 

「なんや,そんなことか.養子とか言われるんか思ったわ」

 

頭が止まったまま口から出た言葉でしたが,実際のところ自分で予想していた事とは違いました.しかし受けた衝撃は大きく,「そんなこと」などで片付けられるものではありませんでした.しかし今となってはこの「そんなこと」という言葉は母を救ったかもしれません.聞けば,母はこの事を打ち明けるに打ち明けられなかったらしいです.なぜなら私がそれにショックを受けて悲しむと思っていたらしいです.その割には「誠也は頭が良いから気付いてるかも」などとも思っていたらしいです.全く気付いていませんでした.この話を聞いてから祖父の家に行って部屋を探すと確かにチマチョゴリを着た人物の写真がありました.

 

確かに,私は中学くらいから韓国人のようだといじられる時はありました.眼鏡を掛けているからペ・ヨンジュンのようだとか.しかしそれに抱いた嫌悪感は韓国人だからではなく,ペ・ヨンジュンが少し古い話題だったからです.それ以上のいじめや差別といったものは受けたことはありませんでした.それはもちろん私を含めた全員が私のことを純日本人であると思っていたからです.もし半分韓国人であることが知られていたらどうなっていたのかは分かりません.しかし,私は自分が半分韓国人であることを知ってから数人の友人にそれを明かしました.母親には「人に言わないように」と言われましたが仲の良い友人には言ってみようと思ったのです(このブログで書くことは母の言いつけを大きく破っているがそれは見逃してほしい).仲の良い友人というだけあってか,それを知っても仲良くしてくれる人ばかりでした.本当に差別は存在するのかと疑ってしまいました.

 

私のような人間は韓国人の血が混ざっていることを明かしても差別されなかった恵まれた人間です.前述のとおり,人種差別問題の裏には差別される人とされない人が居るのです.私は自身の経験を以てしてこのことを証明しています.もしかしたら,私がこんな身の上でなければこのことに気付かなかったかもしれません.

 

私は,このような貴重な境遇にあることを含めて,皆に差別という問題の本質に気付いてほしいと思ってこの文を書きました.ネットにあふれる数多の声の中から,主語の大きさに惑わされることなく,問題の本質に関わる意見を取り入れて欲しい.その本質は私には分かりませんが,問題とは関係のない方向へ考えが向いてしまうことを避ける手助けにはなることを願います.

 

advent calendarに書くような明るい内容では無かったと思いますが,文章を書く機会もないのでここに記させていただきます.